1通の葉書から

画像のリーフは、越前国大野郡に所在した中手(なかんて)局のKG印で抹消され、隣りの局である蔵作へ宛てたもの。
蔵作局の到着印もあります。

中手局は、明治17年7月1日開局で、20年3月31日に廃止。
蔵作局の方は、明治13年6月開局、19年5月30日に廃止となっており、どちらも短命な局で希少度の極めて高い日付印です。

このようなマテリアルを紹介したので、当時の郵便線路図でちょっと考えました。
使った郵便線路図は、下の画像です。

リーフの葉書は1の中手局から、2の蔵作局へ宛てられています。
中手局は郵便線路の行き止まり局なので、郵便逓送人は毎朝6時15分に出発、山中の谷筋道をてくてく歩いて蔵作局へ向い、そこで郵便物の受渡しの後、更に歩いて3の市波局へ向います。

一方、越前の中心地である4の福井局からは、毎朝6時に大野郡方面行きの郵便物を持った逓送人が出発。
この逓送人は、途中の東郷局に寄り郵便物の受渡しを行った後、足羽川に沿って3の市波局へと向かいます。

更に、5の奥越の大野局では毎朝6時に福井方面行きの郵便物を持った逓送人が、途中立ち寄る局もなく3の市波局へと山を下ります。

中手、福井、大野の3方向から出発した逓送人は、市波局で合流。
各方面別の郵便物の受渡しを行った後、折り返して元来た道を各々の出発地へ戻ります。
距離的なことを考えると、恐らく市波局に10〜11時頃に到着し、それぞれの局には15〜16時頃に帰着していたものと思われます。

1通の葉書から逓送人の動きが想像できて、地方の郵便システムを知るにはちょっと面白い。

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