シベリア出兵

先日、日露戦争のことを記したので、今日はシベリア出兵の使用例ですが、このリーフは「日本郵便史」のアルバムに綴じてあるリーフです。

消印が若干薄いのですが、データはきれいに読め、第一野戦局の大正10年10月24日の使用例です。
第一野戦局は、ウラジオストクに大正7年8月に開設され、後期は撤兵完了近くの11年7月が知られていますから、10年10月は特に特徴があるわけではないと思います。

このシベリア出兵については、「出兵するのか」「しないのか」政府内では大きく揺れ動きます。
その政府が揺れ動いている間に、参謀本部は着々と出兵へと向けて準備を進めてしまうのです。
政府内には陸軍大臣がいますし、その大臣は陸軍省のトップですから、政府の方向性が定まらないうちに勝手に作戦を立てるとは、変に思われるでしょう。

よく勘違いされるのですが、陸軍省=参謀本部ではありません。
参謀本部は、陸軍省からは独立した機関として、陸軍の作戦を立案・指揮する軍令部門で、それに対して陸軍省は、主に編成や装備を担当する軍政部門なのです。

先日の「日露戦争」の時に、日露戦争以後の日本は「外向きの軍事体制へと大きく転換」と記しましたが、シベリア出兵時の参謀本部の動きは、それをよく示しています。

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