なにかないかと、朝鮮関係の消印を集めたストックブックの中から出て来たのがこれ。
田沢旧大正毛紙旧版に押された鉄郵印。
ちょっと見難いですが、なんとか読めます。
「釜山京城間/上二/4.10.25/京城発后7・・・」で、残念ながら分以下が読めませんが、同じ年の他のデータを見ると7時50分だと推定できます。

そこで、大正4年10月の『公認汽車汽船旅行案内』(通称、三本松の時刻表)を見ると、南大門駅(京城)午後7時50分発の列車を見つけることができました。
この列車は、第2列車で安東発の急行で、釜山には翌朝5時40分に着くダイヤでした。
この第2列車より後には、南大門午後9時10分発、釜山6時10分着という、長春からの急行第202列車があるのですが、同じ急行でも鈍足の第2列車に郵便車を連結したのは、202列車よりもかなり多くの途中駅に停車するためだったと思われます。