画像は、赤間関局のボタ印。
パッと見ると画像に違和感があるのは、末梢部の「赤」字が逆さまだからなのですが、これは意図的に逆さまに置いたわけではありません。
その隣りの日附部を見れば局名「赤間関」は正位置。

あら!まぁ、たいへん!!
このボタ印は、お互いが逆さまの関係なのです。
ちなみに、手元に下の画像のものもあります。

これが普通ですよね。
日附部も抹消部も正位置になっています。
ちなみに逆位の方の日附は、明治20年11月21日ハ便。
こんなのあるのですね。
知りませんでした。
ボタ印収集家とか、郷土の郵便印収集家の間では知られていたのかも知れませんが・・・。
日付印を逆向きに取り付けて押してしまったのでしょうか?
いつも、ありがとうございます。
日付印の構造がどうだったかな?
未確認なのですが、一度、構造の詳細を確認しないといけませんね。
ボタ印使用局の各局別データの記録はないと思われますが、たまに見られます。2連印のボタ印の相対位置を180度間違えて使用したと思われます。専門の東京・深川局の場合はデータが有り、南深川、北深川局から深川局に改局された初期混乱期の明治18年9月9日から10月12日までの約1ヵ月使用されました。当方、逆転印のリーフ作っています。赤間関の場合、明治20年(ですよ)は使用初期ではありませんが、資材の調達先等変更期に起こったミスでしょう。但し、本件、ボタ印収集家は、余り関心がないようで鏡ボタのように記録がないのが実態です。御参考まで。
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ご教示、ありがとうございます。
データ的に複数を確認しているのですが、どれも明治20年です。
(誤字の21を20に訂正いたしました)
ただ、1月からのデータがあるので、意外と長期間みたいです。
ボタ印は確か、下駄判で連結式だったはずです。
私よりもぜんぜんすごい震災様がコメントされていますが、そのとおりです。
下駄の歯の前側の歯にボタ印、後ろ側の歯に二重丸型日付印が取り付けられている、みたいな感じです。
先日震災郵趣展を見に行きましたが、その際に本と切手を買ったらよくしていただき、ありがとうございました。たぶん震災様だと思います。
そうなんです。
固定式の二連印です。
二重丸印の実物はKG形しか、手に取って観察したことがありません。
KG形では、局名と郡名部分は軸と固定された造りで、取り外せるのは日附部だけでした。
となると、赤間関ボタ印は、局名と抹消部は外せない造りのはずなので、印影を見る限りでは末梢部を逆さまに造ってしまったのではないかと・・・。
このためには、ボタ印を直接手に取って観察する必要があると思います。
長野ボタにもボタ逆転が存在します。長野ボタでは明治19年3月から明治20年6月にかけて不定期に存在します。藤沢の震災郵趣人さんがおっしゃるとおり長野ボタのケースも注目されていませんが、使用時期が特定できれば興味深いデータになると考えています。
いつも、ありがとうございます。
長野の情報、ありがとうございます。
意外と逆さま印って、あるのかも知れませんね。