Japexで、友人から2通の連合葉書(小判横型料額改正葉書)をいただきました。
それを整理したのが、下の画像です。
早速2通並べて、差出地が違えば閉嚢に伴う中継印が異なることを示すリーフを作りました。
上段は、下関東局・明治45年7月29日の抹消印で、中継印は敦賀局7月31日の欧文印。
「シベリヤ経由独逸行」のハンコが押されています。
この分野には疎いのですが、面白かったのは下関東局(山口県)のシベリア経由便の外国郵便交換局は神戸局なのに、神戸局ではなく敦賀局の欧文印が押されていること。
つまり、神戸局では閉嚢は行わずに敦賀局へ送り、そこで閉嚢されたようです。
この辺の扱いは、それが普通なのでしょうか??
なにしろ勉強不足なもので・・・。
それに加えて、明治最後の日を跨いだ使用例としても面白いかと。
明治天皇は、明治45年7月29日に亡くなられ、宮内省の公式発表は7月30日でしたから、亡くなられた日に差出され、公式発表日には神戸に向かって逓送中だったことになります。
特に意味はありませんが、なんとなく面白いなと。
下段は、長野局・大正3年3月31日抹消差立で、中央に半欠けですが東京局4月1日の欧文中継印。
そして右下に青ペンで「シベリヤ鉄道経由独逸行」の書込があります。
長野局のシベリア経由便の交換局は東京局なので、東京の中継印を押された後に閉嚢扱いで逓送されたのだと思われます。
こうして2通並べると、意味のあるリーフになりました。