昨日の午後は鉄道例会で、終了後は皆さんとの二次会は失礼して、その足で大学時代の先輩との忘年会。
九品仏の寿司屋で、とても美味しい料理と京都の酒だったのですが、せっかく良い酒肴のあとに人生最大規模の大失態・・・。
なんと、京成線接続の最終列車に乗り遅れてしまい、たどりつけたのは浅草まで。
なんと、家に帰れなくなってしまいました!
コロナ以前だったら、銀座や新橋からの深夜バスもあったのですが、もうずっと運休中。
どうにもならないので、午前3時まで営業のバーと、その後はマスターに教えてもらった24時間営業の居酒屋へ。
午前5時に居酒屋から出てくる自分っていったい・・・。
ようやく5時半の電車に乗って、6時半に帰宅です。
鉄道例会で紹介した1リーフは、画像のもの。
昭和33年10月1日の国鉄ダイヤ改正によって誕生した、特急「はやぶさ」と「はつかり」の小型印。
左の「はやぶさ」は東京・鹿児島間の夜行特急として、特に九州の鳥栖・鹿児島間では初めての特急列車として誕生。
右の「はつかり」は上野・青森間の北海道連絡の昼行特急として登場しましたが、東京から東方面へと向かう特急としては初めてのもの。
ちょっと驚きですが、この「はつかり」が走るまでは東日本には特急が走って無かったのです。
どちらの列車も初もの列車なので、小型印まで作ってお祝いというわけです。
左の小型印は電気機関車(EF58でしょうか?)、右は蒸気機関車という対比が面白いですね。
新幹線が各方面に開業したことで、長距離を走る在来線特急もめっきり減ってしまい、時刻表を
見ても面白くなくなったのが残念です。
A.M. さん
いつも、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、左の小型印はEF58がモデルです。
この頃は「大阪・姫路電化」など、東海道沿線の小型印にEF58はよく使われています。
仕事の関係で、古い時刻表を使うことが多いのですが、古い時刻表は面白いですね。
鉄道例会では、毎度お世話になりありがとうございます。
時間ぎりぎりまで、お引止めしてすみませんでした。
おかげさまで、会の運営に進展がみられました。「感謝!」
それにしても、ご家族の心配はいかばかりか?とも思いました。お身体に支障はなかったようで、そこよかったです。
吉田 さん
例会では、お世話になりました。
研究会の体制は「待ったなし」の状況なので、3月までにはスッキリしたいものです。
家内にはあっさりと、
「仕方がないわねぇ、気をつけてね。私は寝るから」
と、言われただけでした。
はつかりはボンネット型の車体が登場したとき、故障続発でがつかりと揶揄されたりしました。
傷口に塩を塗り込むような質問で申し訳ありませんが、浅草の24時間営業の居酒屋、どのあたりにありますか?
最近浅草には用事でよくいくので興味を持ちました。
ボタ・ヤマエ さん
いつも、ありがとうございました。
気動車の「はつかり」の初期不良は、排気管と燃料系配管の不良が多かったようです。
特に排気管は高熱になるので、そこに捨てられた新聞紙などが巻き付き、火災を起こすとかですね。
エンジンはDMH17系という、それまでに多く使われて信頼性の高いものを採用したので、エンジン本体の不良ではなかったのです。
逆に言うと、エンジンやトルクコンバータには、全く新技術が無かったというわけ。
ところで居酒屋ですが、単なる酔っ払い状態だったので、店名などは覚えていません。
雷門通りと国際通りに挟まれた、どこかの通りでした。
あの辺にも深夜になると「たちんぼ」さんが居て面白いですね。
特に国際通りの1、2本裏通りに多くいらっしゃいます。
ありがとうございます。残念!
国際通りの合羽橋側、ビューホテルのある側は飲み屋がたくさんありますね。あのあたり怪しげなお店もたくさんありますね。
客引きは夜遅くになると田原町の交差点やすしや通りの入口に出没しますが、立ちんぼまで!
24時間営業というと、すしざんまいくらいしか思い浮かびませんでした。
ボタ・ヤマエ さん
そう言えば、浅草ビューホテルの並びにも24時間の寿司屋がありました。
店名は覚えていませんが、看板を見たらちょっと高めの値段設定だったような・・・。