「なんちゃって郵便史」ですが、せっかくの機会なので、今日は「南満州鉄道付属地」。
下の画像の楠公葉書は、実はかれこれ30年は経つと思いますが、大石さんが主催していた『スタンプ・コレクター』誌のオークションで、何を勘違いしたものか他のロットと間違えて落札してしまったもの。
たぶん、入札用紙に書く番号を間違えたのでしょうね。
そのようなマテリアルだったので、しばらくは放置状態だったのですが「なにか使い道はないか?」と考えたのが「なんちゃって郵便史」のリーフ。
南満州鉄道付属地、一般的には「満鉄付属地」と呼びますが、興味が無い人だと「付属地ってなに?」と思うと思います。
満鉄はご存知のように鉄道会社なので、列車を走らせる線路帯が延々と細長く続きますが、その線路の保守のために線路の両側数メートルの範囲で、付属地という敷地が認められていました。
と、ここまでは建前の話。
満鉄の前身は、ロシアが敷設した東清鉄道南満州支線ですが、この東清鉄道時代にロシアが付属地の拡大解釈を進め、鉄道に少しでも関係した所を付属地として次々と拡張してしまったのです。
例えば、列車を走らせるのに石炭が必要ですが、その石炭採掘場所どころか、そこで働く坑夫が住む町なども「鉄道に関係するから付属地だ」というわけ。
東清鉄道をロシアから引き継いだ満鉄も、その論法を使いまくります。
画像の葉書のデータは「鞍山 12. 6. 19」。
下の図は、満鉄路線図からの一部ですが、青矢印の駅が鞍山になります。
鞍山では元々鉄鉱石が採掘されていたのですが、満鉄が大鉱脈を発見し、それを精製する製鉄プラントを築き上げ、製鉄の町として知られるようになります。
ですから、ここも大規模な満鉄付属地になってしまうわけで、もちろん関東庁が管理する郵便局だって設置されます。
昭和7年には満州国が建国されますから、関東州には属さない鞍山も当然ながら満州国の一部になります。
そのような経緯から、昭和12年12月1日から満鉄付属地内の郵便局は全て満州郵政に移管されることになり、本使用例は移管5ヶ月半前の最終年使用例になります。
間違えて入札してしまった楠公葉書ですが、こうして使えば、少しは使い道ができたというもので無駄にはならなかったかな。
郵趣家あてのエンタイアですが、消印が鮮明でいいですね。
裏の満鉄の路線図も興味深いです。
ボタ・ヤマエさん
いつもありがとうございます。
通信文には小さな字でビッシリと鞍山での生活が記されていて、「昨日は兵器献納式がありました」など、当時ならではの様子が伝わってきて面白いです。
路線図は裏ではなく、史料として私の手元にあるものです。
地図は別でしたか。失礼しました。
新楠公はがきが出るまでの、旧楠公2銭はがきの4ヶ月間の適正使用例としてもいいですね。
表のあて名はあんなに大きな字なのに裏はびつしり詰めて書いてあるのも面白いですね。
差出人は非郵趣家なのでしょうか?
差出人は同名の田村さんなのですが、文面から判断すると家族ではなく親戚のようですね。
鞍山に移住された方のようです。