40年前のJapex

もうすぐJapexですが、今日はキリのよい数字で40年前のJapex。
会場は、今と違って浜松町の産業貿易センターでした。

出品目録を見ると、外国部門だけで32作品、199フレーム。
すごい数ですね。
組織票的な米国切手が13作品を占めていますが、それを除いても19作品もあります!
ちなみに今回の外国部門は3作品だけ。
当時は1フレームが12リーフの時代ですが、これだけの外国切手が並んでいると、外国部門を見るだけで1日仕事になりそうですが、全く記憶に残っていません。

実は、この年の作品で印象に残っているのは荒木一郎さんの「手彫切手」。
もちろん手彫切手コレクションとしてよりも、芸能人収集家としての荒木一郎さんのネームバリューが先行していたことは言うまでもありません。

そう言えば、芸能人の手彫切手収集家としては、手彫切手研究会にも参加されていた中村伸郎さんが有名でしたね。
田宮二郎さんの「白い巨頭」に、第一外科の東教授役で出演されていて懐しいなぁ・・・。

この年の特別展示は「南方占領地のステーショナリー」。
当時は全く興味がない分野。
作品集を、いま見返してもサッパリわからない内容です。
もちろん僕が勉強不足なだけですが・・・。

40年前のJapex」への6件のフィードバック

  1. 組織票的なアメリカ切手の展示というのは、特定の人が作品を複数出品していたということでしようか?
    出品数、昔日の感がありますね。今こんなに出てこないですよね。

    1. ボタ・ヤマエさん
      いつも、ありがとうございます。
      組織票というのは、アメリカ部会です。
      あの頃のアメリカ部会は「あなた、出品しなさい」的なノリだったそうです。

      私もそうですが、10年位前までは熱心に出品していた人も、今はちょっと出品疲れというか、切手収集の根幹的な部分において「出品とは何なのか?」と考えている部分があります。
      これは、突き詰めて行くと「切手収集の愉しみ」に行き着くところにあります。
      今の競争展を見ていると、多くのリピーター出品者によって回っているところがありますが、これでは早晩行き詰まることが目に見えています。
      これを打開するには、毎年、一定数の新規出品者がいないといけないのですが、どの郵趣団体もそのような活動が見えません。
      そこに現状の一端があることに、間違いはないと思っています。

      1. アメリカ部会の方たちですか。
        たしかに、出品することに意義があるというのも一つの考え方です。
        しかし現在はアルバム作りより、ポストクロッシングなどが切手収集の主流を占めつつありますし、また、若い人が入って来ず、収集家の高齢化がかなり進んできています。
         このままいくと、10年後も同じように切手展ができるかどうか、怪しくなってきます。
         切手収集の裾野を広げようとするより、現状維持がやっと、という感じに見えます。
         

        1. ボタ・ヤマエさん
          そもそも、これだけ郵趣人口が減った時代に、全日展とJapexの二つが必要でしょうか?
          まぁ、今はまだ行けると思いますが、もっとコアな郵趣人口が減ったばあい、全国展二つは無理でしょう。
          イギリスでさえ、スタンペックスの春と秋では性格に違いがあり、それぞれで役割分担をしているのはご存知かと思います。
          郵趣の入口は「切手が可愛い」でも、ポストクロッシングでも良いのです。
          畑に蒔いたタネが芽を出したら、可愛がって、成長させますよね?
          そうした努力が必要なのではないでしょうか。
          100の芽が出たとして、花が咲くのがそのうちの1でもいいじゃないですか。
          そもそも郵趣というのはアナログな遊びなので、成長に時間がかかるものでしょう。
          今流行の、費用対効果だとか即戦力なんて思想は、郵趣には必要ないと思います。
          もし、郵趣の世界に費用対効果を求める人がいたとしたら、その人は趣味に向かないと思いますね。
          今年に入って北欧部会に、ポストクロッシングで入手した北欧切手に興味を持った人。
          それと、北欧音楽のミュージシャンの方が、北欧切手に興味を持って入会してくださいました。
          そうした郵趣の入口に立った人達を、気長に仲間に取り込んでいく努力が必要だと思います。
          また、私の周囲にはJPSの会員ではあるものの、アルバムを作ったことがないという方が何人もいらっしゃいます。
          そのような人達を相手に「アルバム作りの必要性」を話すと、興味を持ってくれたりします。
          そうした中の1人ですが、数十年を集めていて、初めてブランクリーフでアルバムを作ってくれました。
          こうしたリーフ作りを始めたばかりの人とか、カタログコレクションレベルの人達をじっくりと育てる必要性があります。
          切手展を元気にするには、切手展予備軍を増やすしか方法はないと思います。
          今の出品者が10年後に、何人残っているでしょう?
          「出品者がいなくなったら切手展を止めればいいや」なら、なにもしないで流れに身をまかせればいいと思います。
          もし、切手展は10年後も20年後も続けたいのでしたら、畑にタネを蒔き、肥料を与える必要があると思いますが。

  2. 1987年の全日展を最後に切手展の出品は途絶えてしまいました。まあ途中の中断期も有りましたが、以来30数年が経過してしまいました。
    今度出品する時は完成形の形でと考えている内に月日ばかりが経過してしまいました。どこまでが完成形なのかよくわかりませんが… 製造面から、アッこんなのが出てきた、使用面ではこっちの方が見栄えが良いかなと新たに加えたり入れ替えたりとの繰り返しで先は見えません。
    年齢を考えると未完成でも、ここらで一度切手展に出品してみようかなと考えたりもします。JAPEXは会員ではありませんので、当面は全日展という事になりそうです。
    当地には毎年のように出品されていた方が居られ出品を後押しされていましたが、残念ながら鬼籍に入られてしまいました。この方の意思を引き継ぎ、来年か再来年には挑戦しようと考えております。

    1. 初老の趣味人さん
      いつも、ありがとうございます。
      1987年と言うと、企画が昭和切手の年だと思います。
      私も、ほとんどが全日展への出品で、JAPEXへは競争で1回、招待で1回のみです。
      では、なぜ全日展ばかりだったのかというと、審査員の質の問題でした。
      近年でこそJAPEXの審査も少しは改善されたようですが、国際展との関係を考えると完全にガラパゴス状態で孤立していたからです。
      その点、全日展は伝統的に国際展審査員資格者がズラリと並んでいたので、そうした物差で審査が受けられたことによります。
      コレクションの完成形というのは、私は無いと思いますので、ぜひご出品ください。
      楽しみにしております。
      今後とも、よろしくお願いいたします。

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