最初の鉄道郵便車

『四代目 郵趣手帖の収集日記』の2018年6月16日に「明治初期の郵便車」と題した記事を書き、「さよなら鉄道郵便」の切手図案がおかしいのではないかと指摘しました。

つまり、報道発表では「ユ3700形」としているのに、実際に描かれ発行されたのは違う車両ではないのか?という趣旨の記事。

下の画像は、明治44年に鉄道院が作成した『客車略図』からの1ページ。
これが本来のユ3700形であることが、そこに記されている形式名から特定できますから間違いはありません。
戦前の形式名は、数々の事情により何回か変更されており、ユ3700は製造当初はZ形式と呼ばれ、その後はユセ1〜10 → ユ3700〜3709と変遷しています。

明治22年7月1日の東海道線全通(新橋〜神戸)を見越して、同年3月8日付で逓信省内信局次長から鉄道局長宛に「東海道線が全通すれば搭載郵便物が増える見込みなので、今までの1車両の5分の2程度の面積では狭いので、全車を郵便車として借用できないか」という趣旨の照会(『鉄道局事務書類巻四』)があり、それを受けて製造されたのが形式Z(後のユ3700形)、すなわち日本最初の鉄道郵便車。

この車両は、新橋工場で10両が作られています。
図面を見ると、屋根に3ヶ所の凸形が見えますが、これは夜間に油燈を吊るす設備であり、屋根中央部にある長方形の平たい出っ張りは、日中に車内に太陽光を入れる明かりとり設備です。
全長6m38cmほどの小型車両でした。

郵便車と言えば、一般の人達にとっては凡そ無関係な車両と思えますが、8月11日の『時事新報』には「汽車郵便はいよいよ本日より実施する由にて・・・(以下略)」の記事が見えます。
この記事に出てくる汽車郵便に使用されたのが、上記のZ形(ユ3700)であるのですが、「さよなら鉄道郵便」の切手では、なぜ間違えてしまったのでしょうか。

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