風景印・北海道追分

画像は、北海道追分局の風景印。
図案は、背景に馬追丘陵を描き、手前に保安林と蒸気機関車。

追分は、室蘭本線と夕張線の接続駅で明治25年に追分機関庫が設置され、それが昭和11年に機関区になった鉄道の町。
全国にあった鉄道の町と同じく、鉄道の衰退とともに追分の町も寂れ、今の追分駅を訪れると無駄に広くガランとした構内に、かつての鉄道の町であった残影を見ることができます。

下の画像は、先日、仕事の取材で訪れた際に撮影した保存機関車でD51の320号機。
風景印は、この保存機関車を図案としているそうです。

この320号機は昭和14年に日立笠戸工場で新製され、北海道内の幾つかの機関区を異動、最後に追分機関区に配属され、昭和51年1月に廃車になっていますから、37年間走り続けたことになります。

追分は鉄道の町であっただけに組合活動も強く、国鉄には複数の組合があったことから、異なる組合に属する親戚同士の対立もあり、特に1970年以後は特にそれが激しかったと言います。
親戚同士でさえ、その後の和解までに以後数十年もの時間が必要だったとか。

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