風景印・遠軽と網走駅前

昭和58年ですから今から40年前の今日、僕は網走に居ました。
この年の北海道旅行は、稚内をスタートにオホーツク海を北から南へ。

行程は、
鎌倉→上野→昼行特急→青森→夜行青函連絡船→函館→札幌(泊)→夜行急行→稚内(泊)→浜頓別(泊)→音威子府→名寄→紋別(泊)→遠軽→網走(泊)→白滝(泊)→札幌→函館→青函連絡船→青森→夜行急行→上野→鎌倉
船中泊と車中泊、白滝以外はユースホステル泊で、10日間程の行程だったと思います。

旅行も終盤に近い7月26日の朝に紋別流氷の宿YHを出発し、名寄本線の各停で遠軽へ。
遠軽で、1時間弱の接続時間の間を利用して遠軽局で押したのが左の風景印。
そして特急オホーツク1号で網走へ移動したのですが、北海道ワイド周遊券は道内の特急自由席には追加料金は必要なしで乗れるという太っ腹な切符。
そして、網走到着後に駅前局で押したのが右の風景印です。

手持ちの風景印を見ると、同日に網走局と北浜局でも押しているのですが、記憶には全くありません。
北浜局は、小清水原生花園に行った時に押したのだと思いますが・・・。
原生花園はよく覚えているのに、郵便局はさっぱりですね。

風景印を見ながら記憶を呼び起こすのも、また楽しいものです。

風景印・遠軽と網走駅前」への2件のフィードバック

  1.  この行程だと、札幌から急行利尻で稚内へ向かい、稚内から天北線、宗谷本線、名寄本線、石北本線、函館本線で
    函館へ戻り、青森からは急行八甲田か十和田の利用でしょうか。
     夏の北海道は人気がありましたが、今はどうなんでしょうか。40年たった今では、北海道の夜行列車はすべて廃止され、幹線以外の路線もほとんど残っておらず、鉄道好きには寂しい限りです。

    1. A.M.さま
      いつも、ありがとうございます。
      そうです。札幌→稚内は「利尻」。
      音威子府→名寄は「宗谷」。
      白滝→札幌は「大雪」に乗っています。
      青森→上野は「八甲田」でした。
      あの頃は、多くの大学生が夏休みに北を目指したもので、色々な人に出会いましたね。
      YHでは、同じ方面へ向かう人がいれば行動をともにしたり。
      自転車の人も多かったですね。
      自転車は、列車に輪行バックに入れて持ち込んで、駅前で自転車を組み立てている人をよく見ました。
      あの頃の北海道の鉄道網は凄かったですね。
      どの列車も混んでいましたが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *