琵琶湖連絡船から鉄道へ

画像は、新小判2銭の重量便で押されているのは米原・敦賀間の鉄郵印。
データは、明治23年6月6日の上り1便で、下部に押された茶色の配達印は大坂局6月6日のへ便。
つまり、同日配達というわけで、今ではとても無理な話し。

見やすいように鉄郵印だけ90度回転させました。

実際の逓送を追いかけてみると
敦賀発 5時45分 → 米原着 7時39分着
米原発 7時58分 → 大坂着 11時40分頃(着時刻不明)
となります。
大坂の「着時刻不明」というのは、時刻表には発時刻のみが掲載されているだけで着時刻が不明なので、凡そという意味で書き込んであります。

この使用例の1年前の明治22年7月1日に、東海道本線の深谷・馬場間が開通し、それにあわせて北陸線も長浜・米原間が延伸開通。
これにより敦賀から関西方面の郵便逓送は全行程が鉄道で結ばれました。

それ以前は、敦賀・長浜間が鉄道で、長浜・大津間が船による琵琶湖湖上連絡、大津・大坂間が鉄道と繁雑な逓送ルートだったわけです。

鉄道の威力は大きく、敦賀・大坂間を約6時間で逓送していることがわかります。

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